近年、口元の整形(人中短縮や口角挙上)は、顔の下半分の印象を左右する「垢抜け」のポイントとして非常に高い注目を集めています。SNSでの症例写真の拡散もあり、多くの方が理想の口元を求めて治療を受けられるようになりました。しかし、その一方で、安易な手術によって深刻なトラブルを抱え、当院を訪れる方が後を絶ちません。
口元は、皮膚、筋肉、粘膜、神経、そして豊富な血流がミリ単位で複雑に絡み合う部位です。特に「口角」は、食事、会話、表情作りといった、人間が社会生活を送る上で欠かせない動的な機能を担っています。ここは単なる「パーツ」ではなく、一つの「精密な器官」です。
そのため、口元の治療においては「手術ができるかどうか」という技術の有無以上に、「誰が行うか(解剖学と再建外科の背景があるか)」がすべてを決定づけます。今回は、他院での口角挙上術後に「口角が裂けてしまった」という難症例を軸に、構造から治す再建手術の本質を解説します。
口角挙上術における「失敗」の正体:口角裂と拘縮
口角挙上術における失敗の中で最も重篤なものの一つが、今回ご紹介する「口角裂(こうかくれつ)」です。これは単に「デザインが気に入らない」といった審美的な不満ではなく、唇の機能そのものが破壊された状態を指します。
解剖学的構造の破壊:なぜ口角が裂けるのか
僕たちの口の周りには「口輪筋(こうりんきん)」という、円を描くように走行する特殊な筋肉があります。この筋肉は、唇を閉じ、食べ物を保持し、言葉を発するための「大黒柱」です。 動画の症例では、他院での手術によって、この口輪筋の連続性が断たれてしまいました。その結果、本来繋がっているべき上下の唇の結合部が約5mmにわたってパックリと裂け、口角が物理的に「離断」した状態になっています。これは皮膚の表面的な切りすぎだけではなく、深部にある筋肉の土台そのものが破壊されたために起こる現象です。
拘縮(ひきつれ)による機能障害の連鎖
組織が破壊され、欠損が生じると、体はそこを埋めようとして「瘢痕」という硬い組織を作ります。これが治癒の過程で周囲を引っ張る「拘縮」です。 拘縮が起きると、以下の深刻な機能障害が連鎖的に発生します。
- 口唇閉鎖不全(こうしんへいさふぜん): 力を抜いた状態で口が自然に閉じず、常に半開きになる。
- 液体の漏出: うがいをしようとしても口角の隙間から水が飛び出る、あるいは飲み物を飲む際に意識しないとこぼれてしまう。
- 不自然なしわ: 閉じない口を無理に閉じようとして周囲の筋肉(広頚筋や口角下制筋など)に過度な力が入り、顎や口周りに梅干しのようなしわが寄る。
なぜこのようなトラブルが起きるのか:医学的視点の欠如
口元の手術は、マニュアル通りに皮膚を切除し縫合すれば済むという単純なものではありません。解剖学的な複雑さを考慮しない安易な術式が、深刻な合併症を招いている現状があります。
解剖学への理解不足:表面しか見ていない執刀医
失敗の多くは、執刀医が唇を「単なる皮膚の平面」として捉えていることに起因します。内部の筋肉(口輪筋)の厚みや、粘膜との境界線である「バーミリオン(赤唇縁)」の複雑な立体構造を理解せず、表面の皮膚だけを切り取って吊り上げようとすると、組織に無理な負荷がかかり、結合部が耐えきれずに裂けてしまいます。
「再建外科的バックグラウンド」の欠如
僕たち形成外科医は、口唇裂という唇が裂けて生まれてくるお子さんの再建手術や、顔面外傷、癌切除後の組織欠損の修復を専門的にトレーニングします。 これらの手術は「失われた機能をどう作り直すか」という、美容外科のさらに先にある学問です。この基礎知識がないまま、いきなり美容整形の術式だけを見よう見まねで学んだ医師が手術を行うと、万が一の合併症に対応できず、患者様を「裂けたまま」にしてしまうのです。
商業主義に偏った直美のリスク
医学部卒業後に早期に美容外科を専攻するキャリア(いわゆる直美)自体が、すべて不適切であるわけではありません。中には高い志を持って研鑽を積まれている医師も存在します。しかし、商業的な成功が優先される環境下で、解剖学の学習や学会での医学的アップデートを疎かにする傾向が見られるのは事実です。解剖学を軽視した手術は、結果として患者様に回避可能な不利益をもたらすリスクを増大させます。執刀医が医学的な基礎と研鑽を継続しているかどうかは、手術の安全性を担保し、患者様の利益を守る上で極めて重要な要素となります。
修正手術(再建)のアプローチ:構造の再構築
一度壊された口元を治すのは、初回の手術よりも遥かに高度な技術を要します。当院では「単に縫い合わせる」のではなく、以下のステップで「構造の再構築」を行います。
Step 1:瘢痕組織の徹底的なリリース
まずは、過去の手術で作られたガチガチに固まった傷跡(瘢痕)と、誤った位置で癒着した組織を丁寧に剥離(リリース)します。無理なテンションがかかっている箇所を一度解放し、組織を自由な状態に戻さない限り、どれだけ綺麗に縫っても再び引きつれが起きてしまいます。
Step 2:口輪筋の精密な再連結
表面を塞ぐ前に、最も重要なのが「筋肉の連結」です。離断してしまった口輪筋の端を一つ一つ丁寧に見つけ出し、解剖学的に正しい位置で強固に縫い合わせます。これにより、唇の「締める力」を物理的に回復させます。
Step 3:Z法(Z形成術)による皮弁の組み替え
切り取られてしまった皮膚は戻りません。そこで「Z法」という形成外科の重要手技を用います。 傷跡にZ型の切開を加え、二つの三角形の皮膚(皮弁)をパズルのように入れ替えることで、傷の方向を変え、組織を延長させます。これにより、組織を無理に引っ張ることなく、足りない部分にボリュームを補充し、滑らかな口角のラインを再建します。
「機能の回復」がもたらす変化
適切な再建手術を行えば、たとえ深刻な失敗であっても、不自由のない日常を取り戻すことは十分に可能です。
術後、鏡をご覧になった患者様が最初に仰るのは「口を閉じている感覚がすごくある」という言葉でした。これまで無意識のうちに隙間から漏れていた感覚が解消され、唇が本来持っている、自然に閉じる機能が復元されたことによる安心感は、機能再建において極めて大きな意味を持ちます。
内部の筋肉構造が正しく修復され、無理に口を閉じようとする力が不要になったことで、口周りの不自然なしわは大幅に改善します。これは、組織の引きつれ(拘縮)が取り除かれ、筋肉が本来の連動性を取り戻したことによる本質的な効果です。
まとめ
口角挙上術の失敗は、単なる見た目の不満足に留まりません。 「水が漏れる」「食事がしにくい」「不自然な引きつれで表情が作れない」といった症状は、日常生活の質(QOL)を著しく損なう重大な機能障害です。
組織の構造が一度損なわれると、修正手術の難易度は飛躍的に高まり、患者様の身体的・経済的な負担も増大します。望ましい結果を得るためには、以下の基準に基づいた慎重な検討が不可欠です。
- 形成外科専門医の資格を有しているか。
- 口唇裂等の再建外科において、組織の組み立てに関する十分な経験があるか。
- 手術の利点だけでなく、リスクとその具体的な回避策を医学的な根拠に基づいて説明しているか。
トレンドや価格といった表面的な情報ではなく、医師が持つ知識と技術力を最優先に判断してください。
他院での手術後に機能的な不具合や変形でお悩みの方は、早期の専門的な診断をお勧めします。構造から正しく治すことで、不自由のない当たり前の日常を取り戻すための適切な治療計画を提案いたします。





