過去に口唇口蓋裂の手術を受けて成長された方から、成人になってからも鼻や口元の左右差、傷跡の見え方、笑ったときのひきつれなど、いろいろな悩みをご相談いただくことがあります。
傷跡そのものに加えて、
鼻の下が平らに見える・唇が上に引っ張られる・表情を作ると違和感が出るなど、“形”と“動き”の両方で気になる部分が生じていることも少なくありません。
こうした変化は、表面だけの問題ではなく、その奥にある 組織の不足や拘縮(引きつれ) が関係していることが多いため、皮膚だけをきれいに縫い直しても改善が限られてしまうことがあります。
今回ご紹介する症例では、鼻腔底(いわゆる“土手”)の再建と傷跡修正を同時に行い、組織の動きと形のバランスを立体的に整えていくアプローチを選びました。
その考え方と治療の流れについてお話しします。
術前診断:なぜ、鼻と口が歪んでしまうのか
今回の患者さんは、幼少期に口唇口蓋裂の手術を受けられ、その後も鼻の下の傷跡や上口唇の瘢痕、口元の吊り上がりなどを気にされて来院されました。
術前にまず確認すべきことは、
「なぜ現在の形の変化が起きているのか」
「どの組織が、どの方向に、どう作用しているのか」
を正確に見極めることです。
一見すると“鼻の下の傷跡が気になる状態”に見えますが、実際にはその背後で 複数の要因が同時に働き、鼻と口元のバランスを崩している 状況でした。
今回の症例では、以下の3つの問題が組み合わさっていました。
① 鼻腔底(土手)の欠損と、鼻孔縁の変形


本来鼻の穴には、入り口の床部分に「鼻腔底」、通称「土手」と呼ばれる自然な隆起が存在します。しかし、この症例ではその組織が欠損しており、平坦あるいは陥没しています。
さらに重要なのが、 「鼻孔縁(鼻の穴のフチ)」の高さと奥行きの問題です。 本来、鼻のフチは美しいアーチを描いていますが、組織不足による牽引でフチ全体が下に引っ張られています。これは単に位置が低いだけでなく、「奥行きという意味での高さ」が失われ、鼻の穴の立体感が損なわれている状態です。
② 組織不足による「上下の牽引」


組織不足によって下記のことが起こっていました。




鼻の下の組織が物理的に足りていないため、上下の皮膚が無理に引っ張り合う「綱引き」の状態になっています。
- 鼻への影響: 組織が不足している側へ鼻が下方向へ引き寄せられ、鼻翼(小鼻)が倒れ込み、鼻の穴の高さにも左右差が生じています。
- 口唇への影響: 逆に上口唇は上方向へ引き上げられ、口元のバランスが不自然に見えてしまいます。
この上下の綱引きが、歪みや笑ったときのひきつれの原因になります。
③ 過去の手術による肥厚性瘢痕


写真の点線は、過去の手術による傷跡のラインです。
特に白い点線で示したジグザグ部分は、口唇口蓋裂の手術の際の「Z形成術」の跡ですが、ここが肥厚し、目立つ段差となっています。 瘢痕が硬くなると皮膚の柔軟な動きが制限されるため、「組織が動かないから、形も整わない」という悪循環に陥ります。
今回の手術では、組織の再配置による土手の再建とあわせて、
この硬くなった瘢痕部分も丁寧に整え、自然な動きが出る状態へ近づけることを目指しました。
「組織不足」「上下の牽引」「過去の瘢痕」
この3つが重なることで鼻と口元のバランスが崩れ、表情のときにも違和感が出やすい状態になっていたと考えられます。
動画でも解説しています。
手術計画:瘢痕組織を「土手」のボリュームへと再配置するアプローチ
修正手術では、表面の傷をきれいに縫い直すだけでは十分な改善は得られません。
根本的な解決には、
- 不足している組織をどう補うか
- 固くなった拘縮をどう解除するか
- 見た目と機能の両方をどう整えるか
この3つを同時に達成する必要があります。
今回僕は、
「現在その部位に残っている組織を最大限に生かして、不足分を補う」
という方針を選択しました。
過去の手術で生じた瘢痕の内部にも、血流の保たれた皮膚や皮下組織が存在します。
これらを丁寧に挙上し、立体的な鼻腔底(土手)の土台として最も適した位置へ再配置する設計を行いました。
限られた組織をどの向きで、どこに配置するか
その一つひとつの判断が術後の形態を大きく左右するため、非常に繊細な再建設計が求められます。
一般的には、硬くなった瘢痕組織や、以前の手術で生じた隆起部分は修正の際に切除されることが多いですが、
このように組織が不足しているケースでは、貴重な組織を無駄なく生かすことが最も重要です。
術前のデザイン段階で、瘢痕部を単に取り除くのではなく、血流を保った皮弁として挙上し、必要な位置へ移動させる計画を立てました。
表面の「整えたい皮膚」を優しく剥離しながら、土手として機能させるための厚みや方向を細かく調整していきます。
こうしたアプローチによって、限られた組織でも十分なボリュームを確保し、自然な立体構造を持つ鼻腔底を再構築することが可能になります。
4つのZ形成による「立体構造の再構築」
今回の手術では、合計4箇所のZ形成を組み合わせ、複合的な再建を行いました。 Z形成とは、皮膚にZ字型の切開を入れ、三角形の皮弁を入れ替えることで、皮膚の緊張を解いたり、距離を延長したりする形成外科の基本手技です。
単一の操作では改善が難しい症状に対し、今回はそれぞれのZに役割を持たせて配置しました。
役割①:大きなZ形成(2箇所)による「鼻腔底の構築」と「口唇の延長」
ここでは、鼻翼基部(小鼻の付け根)と口唇側の皮膚を大きく入れ替える操作を行います。 縦方向に突っ張っていた皮膚の緊張を、Z形成によって「横方向のゆとり」に変換します。これにより、上に吊り上がっていた口唇の拘縮が解除され、自然に下へと延長されます。 同時に、入れ替えた皮弁を鼻の下の陥没部分へ滑り込ませることで、失われていた「土手」の高さを物理的に作り出します。
役割②:小さなZ形成(1箇所)による「人中のくぼみ」と「陰影」
鼻と唇の境界部分に行う微細な調整です。 鼻の下にただボリュームを出せば良いわけではありません。美しい口元には、人中(鼻の下の溝)と、その隣にある人中稜(隆起)のメリハリが必要です。 この小さなZ形成により、再建した鼻腔底から人中へとつながる部分に自然な「くびれ」を作り、光と影のコントラストを調整します。
役割③:鼻腔内のZ形成による「機能の確保」
外からは見えませんが、鼻の中(粘膜側)にもZ形成を行っています。 表面の皮膚だけを治しても、裏打ちとなる粘膜が引きつれていては、いずれ後戻りしてしまいます。また、鼻の入り口が狭くなるのを防ぐため、内部の拘縮を解除し、鼻の通気性を確保します。
縫合の狙い:「高さ」の形成と「拘縮」の根本解除
僕は今回4箇所のZ皮弁を配置しました。 鼻の外側だけでなく、鼻腔内(粘膜)にもZ形成を行い、傷跡をジグザグにして目立たなくしていますが、この操作には整容面以上に重要な2つの機能的な狙いがあります。
① 組織を「寄せて」高さを作る
一つ目の狙いは、平坦になってしまった土手(鼻腔底)の再建です。 Z形成で皮膚を入れ替えながら、周囲の組織を「土手部分に寄せていく」操作を行っています。 組織を集約させることで、物理的に「土手(隆起)」を作り出します。これにより、鼻の穴が単なる平面ではなく、立体的な形状に整います。
② 縦の引きつれを解除し、組織を「伸ばす」
二つ目の狙いは、拘縮の解除です。 口唇口蓋裂の修正で問題となるのは、組織が不足しているために起きる「強い引きつれ(拘縮)」です。 具体的には、鼻と口唇をつなぐ皮膚の距離(縦の長さ)が物理的に短いために、組織がギュッと集まってしまい、その張力で鼻が下に引っ張られてしまうのです。これが変形の正体です。
そこで、肥厚して段差になっていた瘢痕を利用し、Z形成を行うことで、突っ張っていた部分を「縦に伸ばす」処理を行いました。 鼻が下に引っ張られる力を断ち切ることで、鼻孔縁のラインは自然に上がり、逆に吊り上がっていた唇は下がり、双方が本来あるべき位置へと戻ります。
術後の変化

まず、土手の再建により、平坦だった鼻の下にしっかりとした隆起が生まれました。下からのアングルで見ると、鼻腔底に厚みができ、鼻の穴がきれいなアーチを描いています。
次に、拘縮の解除と鼻孔縁の改善です。術前に見られた「縦方向の強い引きつれ」が消失しました。Z形成の効果により、上口唇が適切な位置まで下がり、左右のバランスが整いました。 また、下に引っ張られていた力が抜けたことで、下がっていた鼻孔縁の位置も自然に挙上され、損なわれていた立体的な鼻の形が戻りました。
まとめ
口唇口蓋裂の修正、とくに今回のように鼻腔底の再建を伴う手術では、見た目を整えるだけでなく、足りない組織をどのように補い、どの位置に動かしていくかという再建外科ならではの考え方が重要になります。
これまでに
「組織が足りないので難しい」
「これ以上は変えられない」
と説明を受けた方でも、状態を丁寧に確認していくと、改善につながるポイントが見つかることは少なくありません。
どこに組織の不足があり、どこに拘縮が残っているのか。
その構造を一つずつ整理しながら、その方が本来もっているバランスに近づける方法を検討していきます。
表面だけを整えるのではなく、土台から無理のない形に整えていくことを大切にしています。





